こぐまヒストリー


こぐま保育園が誕生した頃の時代背景

こぐま保育園は、今から55年前、1963年に、誕生しました。

こぐま保育園が誕生した、1963年。
当時、「赤ちゃんを保育園に預けて、働くなんて、可哀想」と、言われた時代です。
保育園に預けた子は、親の愛情不足で、非行に奔る、と世間は言いました。
『女性は、結婚したら、仕事を辞め、家庭に入る。良妻賢母が、美徳』とされていました。
 
しかし、敗戦から、まだ、20年も、経っていない頃です。
どこの家庭も、夫婦共働きでなければ、暮らしていません。
結婚して、子どもができたら、なおさらのこと。
けれども、公立保育所の数は、圧倒的に少なく、また、産休明け、42日から、預かってくれる保育所など、ありません。
当時の、女性たちの、一番の願い、それは、「子どもが生まれても仕事を続けたい。
そのために、産休明けの、保育所を造って欲しい」、です。

自分たちの手で保育所を作ろう!

そんな、働く女性たちの願いに、応えたのが、こぐま保育園元園長 桐島マサ江です。
行政に、「保育園を造ってほしい」と、どんなに働きかけても、保育所は増えませんでした。

そこで、この品川の地域で、働く仲間たちに、「自分たちの手で保育所を造ろう」、「働くものたちの子どもたちを、働くものたちの手で、育てよう」と、呼びかけ、多くの賛同者を得て、カンパを集めました。
そして、荏原地域に小さな家を買い、無認可の共同保育所 こぐま保育園を誕生させました。

運営費を稼ぐために大規模バザーと物品販売

無認可の保育所には、行政から補助金は一切出ません。ゼロです。
保育園の収入は、親からの保育料だけでは、とてもやってはいけません。
そこで、保母、保護者は、こぐまの、運営費を稼ぐため、年2回の大規模なバザーを実施し、また、年間通しての物品販売を毎年、おこないました。

こぐまの保母さん、父母たちは、認可、無認可に関係なく、どの子にも平等に、保育を受けさせて欲しい、と、品川区や、東京都と、交渉をし、無認可保育所への補助金を、獲得していきます。また、公立保育園の増設、そして、公立保育園で産休明け保育を実施してほしい、と声を上げていきました。

この保育運動により、こぐまが、誕生してから、10年後、品川区に4園しかなかった公立保育所が、28園に増えました。
そして、公立保育園の小山台保育園で、産休明け保育が始まっていきました。
こぐまの保母、父母の人たちが、あきらめずに声を上げ続け、行政を突き動かしていったのです。

無認可のこぐま保育園を支える父母たちは、よりよい保育の実現に向けて、毎年、区や都との交渉を行い。一方で、少ない助成金のため、園運営は、いつも火の車。
こぐまが、つぶれないよう、バザーや、物品販売に力をいれます。
父母たちは、日々の仕事で疲れた体に、ムチを打って、保育園を支えていきました。

子どもたちを真ん中に、父母と保育士が共に学び育ち合う

なぜ、お父さん、お母さんたちが、こんなにも頑張れたのでしょうか。
それは、愛する我が子のためであり、我が子が、こぐまで成長していく姿を見て、保母さんとの信頼関係を、築いていったからでしょう。

園長の桐島マサ江は、当時のことを次のように語っています。

「こぐまの保母と親たちは、働いているものどうしの、共感と、信頼で、結ばれている。こうした、関係の中で、保母たちは、働く親たちの気持ちになって、愛情をこめて保育にあたる。親はそうした保母の姿を見て、信頼を深めていった」。

こぐま保育園の理念である、「子どもたちを真ん中に、保母と父母が、手を取り合い、共に育ち合う」。この理念が、保母に、父母に、受け継がれて、きたからこそ、55年もの長い歴史を、今日まで、歩んでこれたのだと、思います。